制作例
1991 McLaren MP4/6(鉛筆下図)
1991年6月はじめ、カナダGPを終えたばかりのベルガーによって鈴鹿でMP4/6のテストが行われた。テスト終了後MP4/6はそのまま埼玉のスタジオに運ばれて販促用ポスターの撮影が行われ、その合間を縫って透視図の取材を行なった。ただやって来たのは車体のみで、人も工具も来なかったためホイールも外せず、外せたのはカウルとインダクションポッドだけだった。
不明点ばかりで透視できるものが少なかったので、サイドポンツーンのダクト内のキャッチネット(捨てバイザーなどが飛び込んで貼りついても、エアの通りを確保するレイアウト)と、燃料タンク付近のモノコックに穴を開け、タンクバッグとハニカムの断面を見せることにした。この部分のハニカムの厚さが分からず、3/4インチぐらいと想定して描いたが、後にオーソリティにも尋ねてみたものの、いまだにMP4/6のモノコックの厚さの正確な情報は得られていない。
モノコックのみならずカウルまですべてハニカムで作られていたのには驚かされた。細いノーズも厚さ1/4インチ程のハニカム製で、大きめのアイスクリームコーンのような異常な軽さだった。
MP4/6はそのシーズンを鈴鹿とオーストラリアの2連勝で締めくくり、A.セナは自身最後のドライバーズタイトルを獲得し、MP4/6は以後2021年に至るまでの30年間、ホンダエンジン搭載最後のコンストラクターズタイトル保持車となった。
この鉛筆(0.3シャープペンシル)下図はこの後墨入れ(ロットリングという均一な線が引けるペンでトレース)され、1992年のホンダのカレンダーに使われた。(1991年制作)
1996 Ligier JS43 Mugen-Honda
1996年5月16日、伝統のモナコで無限エンジンの初優勝を果たしたリジェJS43無限ホンダ。珍しく鉛筆線画でのリクエスト。
現車は日本に無いため、無限に置いてある1年落ちのテストカーでアタリを取り、あとは現地で撮った写真で描いて欲しいということだった。しかしその取材場所は天井の低い倉庫の2階だったためアタリを取れるような写真は撮れず、ディテールを取材してそれを参考にフルスケッチでスタートした。(上段)
中段の鉛筆線画が無限リクエストの完成状態で、翌年の無限カレンダー(4枚組の一枚)の図柄に使用されたもの。
脇のサインはモナコウイナー、オリビエ・パニスのもので、日本GPで来日した際にカレンダーとは別に大判にプリントしたものに50枚ぐらいサインしてもらったという、その一枚を私もいただいた。(線画 1996年制作)
下段は、後年雑誌掲載のために彩色したバージョンで、VTEC sportsと、Motorfan Illustratedの2誌に少しずつ違ったバージョンで掲載された。彩色は亡くなった寿福隆志さんとの共同作業。(Adobe Photoshopを使用)
2001 INTEGRA Type R
4代目になるインテグラ(DC5)については国内用の透視図のリクエストは無かったが、アメリカンホンダの仕事でACURA TSXを描いていたので、後年そのガワをアタリに、独自に国内向けタイプRを描き起こし、彩色した。
線画の描き起こしは、0.3mmシャープペンシル、芯の硬さはその日の湿度によりHから3H。楕円定規、雲型定規、造船定規などを使用。
線画をスキャンしてデジタル化し、Adobe Photoshopで彩色した。
車が世に出てからかなり時間が経過してからの制作だったため、その車の理解も進んでおり、分解取材は行なえなかったが、豊富に公開されている資料にも助けられながら制作した。逆に発表前の車の仕事の場合は、対象についての理解が充分ではない中での作業のため、世に出てから、ちょっと違っていたかも、と後悔することが多い。
この透視図は雑誌Motorfan Illustratedに掲載された。(2017年制作)
ILLUSTRATOR
j-works 賀川 邦彦
コーラの配達とスタンドの夜勤で資金を作り、某大工学部3年の秋、中古のS600初期型を入手しAS800Eに換装。
続いて純正とRSC製の中間を行くハードトップを製作しFRPを習得。
70年、共に卒業した友人とホンダ1300エンジン搭載グループ7の製作に着手。
72年、モノコック、カウルまで製作したところで、レギュレーション変更に対応できず挫折。
75年、富士GCチームに潜りこみ、車造りの学習を続行。
79年、2代目 CIVICよりHONDAの透視図制作に参加。
82年、GCチームの解散を期にイラストレーションを本業とし、耕運機からF1までの透視図、イラストレーション制作に携わりつつ現在に至る。
嗜好するもの Vintage 4-stroke